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2016年5月

2016年5月22日 (日)

日曜の夜に

月曜が嫌だ、と思わなくなって久しい。以前はよくそうおもったのだが、いつからかそのような心の突起もなくなった。単にいつもの月曜がくるだけのことだとわかったからだ。

仕事がつらいことが普通になったとも思う。よくないことなのかわからない。そしてこのことをブログに記すのも何回目なのかわからない。
それでもやはり、ここに書くのは、月曜日が嫌なんだろう。

2016年5月15日 (日)

休んだのだろうか

土曜、日曜が休みの仕事だ。2日休んだ。つまり、5日、70時間くらい働いて、48時間で元に戻せ、となる。

無理だ。

2016年5月 8日 (日)

そろそろ警告

毎日12時間労働をはじめて一か月がたった。最初のころは面白半分でだらだら22時まで仕事をした。そのうちに慢性化して、今に至る。どうにもリーダーがアホの極みで、20時くらいに退社した人を指さし「帰るの早いねー」という人なのだ。仕事を量ではなく時間でしか計れない。そのくせ、休憩時間は時間で計測できない、無能の極みであるが、そのリーダーが定時に帰宅しているのをみたことがないので、結局のところ、人は他人の中に自分を求めてしまうのだろう。そして、自分と同じことができない人を「格下」と上下に位置付けて安心するのだろう。

すくなくとも、リーダーはそう見える。
だとすると、彼と同じ時間まで働く私は評価されているのだろうか? そうでもないだろう。リーダーにしてみれば「俺と同じ」であって、つまりは、最低ライン、クリアすべき義務のラインを達成しただけの事で、それは「当然」であり、評価、つまりは加点対象ではない。
減点は楽だ。だから無能はすぐに減点を始める。無能に無能といえる人はいない。私だって無能に無能とは言いたくない。

落語の芸談にこんなのがある。
「人の話を聞いて、
自分より下手だと思ったら、
その人の芸の水準は自分と同じくらい。

自分と同じくらいだと思ったら、
自分よりもうまい。

自分よりうまいと思ったら、
その人のほうがはるかにうまい。」

いかに人間は、
自分を過大評価しがちか
ということだが、

落語に限らず、
人間の行為全般についても、
言える真理だろう。

「他人の実力は自分が考える倍ある」
と思っておけばまちがいない
という戒めである。

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