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2012年5月

2012年5月22日 (火)

明日は今日のつづき

 SIというかIT業が労働集約業となって久しい。もはや公共事業でしか成立
せず、下請け、孫請け、偽装請負が横行している。結局のところ、税金に人人は
群がり、それで産業が成立していく。そりゃスパコンを自前で開発する企業はな
いだろうけど、あまりに公共事業案件が多すぎる。
 SI屋は自身の技術に値段をつけずハードウェアの利益のみしか残らない。誰
でもできる仕事、つまりは時間だけが必要な仕事だけがうずたかく積みあがる。
そこには流行の言葉はあるものの、中身は以前からあったものがそのまま使われ
ている。
 そうやってもうどうしようもない。毎日毎日誰がやってもいい仕事を単に手っ
取り早いから私が片付けていく。時間がかかるけどできる仕事は外に出す。そう
やってもしかすると自分のスキル向上につながっているかもしれない仕事を探す。
それは砂漠でハリを探すような、まさに、砂をかむような毎日で針を探す。
 また一人やめていった。誰も止める人がいなかった。そして人員は充足されな
い。残った人が知識を集めてやりくりする。定時ってなんだろう。家族のために
働くのか? 自分は家族の一人じゃないのか。何のために働くのか? 金のため
ならこの仕事じゃなくていいじゃないか。でも続けていく。
 
 こうやってぼくは壊れてしまった。そんな責任感なんてなかったはずなのに。

2012年5月14日 (月)

道半ばか

 目的をもっている人というのは、得てして目的しか見えていない。
 最近の自分の閉塞感の原因はそもそも(この言葉は厭だな)目的がないことな
のだけれども、目的がある人を見るとどうにもまぶしい。だのでそんなことをお
もってしまうのを止められない。すっぱいぶどう、とでもいえるのかな。
 やる気が出ないのはもうずっと病気なんだろうけど、とにかく生きるのすら億
劫だ。かといって命を絶つのはできやしない。それくらいならできることがある
だろうから。選択肢がなくなったら諦めてもいいんじゃないかな。
 とはいえ、今の心理は諦めやすいのでとにかくどうにかなりそうで厭なのだけ
れど。自分の体が自分のものではないような毎日といえばいいのか。他の刺激で
動いているようにおもう。
 
 いろんな言説に触れるに、最近の世の中としてもこのような閉塞感というか、
自分が自分でない気持ちが蔓延しているようだ。なにが原因なんだろう。一刻も
早く自分を自分の手に戻さないと、本当に手遅れになってどうにかなってしまう
だろう。人事ではなく、自分のことなのに、これすらどうにもままならない。流
されてしまっているのではないだろうか。「最近の世の中」という枕詞に。

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