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2011年2月

2011年2月28日 (月)

さよなら、大佐

リビアも最終局面に。国外脱出を許すというのは、反政府側がそれほどの手がないのか、それともわざと抜けやすいようにしているのか。
しかし、どこに行くんですかね。イタリアかスペインか。またレコンキスタか。などと考えているのものの、イタリアは難民受け入れにたいしてEUへ支援を要請し、さくっと蹴られる。とりわけフランスは排斥運動があるので、政府も人道援助とはいえそうそう予算の出動ができない。

となると、トルコなどのヨーロッパ経由で中央アジアにいたる道か。

リビアの南、スーダンがどうなっているのか情報は少ない。先の選挙の結果から今回のジャスミン革命に突入し、平和的独立を得たスーダン南部のこれからについては報道が少ない。

日本国内でも原油価格が上昇し、且つ、円高が進んでいる。本来は113円くらいだとおもうんだけど。この円高でも吸収しきれない原油価格の高騰は、円安の場合に何が起こるのか想像がつかない。日本国際の格付けが下がる一方で、国内での起債ではまかないきれない財政がさらに悪化しそうである。

チュニジアのたった一人の青年の自殺が、次の10年の世界を決めたように思う。
もはやテロという他人の国にちょっかいを出している場合ではない。
そして日本は経済で成功したのだから、その価値がなくなったとき、姿を消しそうである。残念ながら。自分はできることをしようと思う。

2011年2月20日 (日)

納得いくまでやり直す

チュニジア、エジプト、いまだに国体をなさず。
結局、一度暴力でなにかを手に入れた人は、納得するまで振るい続ける。欲、というものは底がなく、持続する。これは交渉ではない。やがて新政府による更なる暴力が導入され、人心は離れていくのでしょう。幾度となく見てきた革命政府の終焉ですな。

ネット上の意見とは調整ができない。交渉ができない。妥協ができない。それをまとめようとするのは、それこそ政治の仕事の本体である。議論は続けていい。それこそネット上で続けて欲しい。しかく新政府の仕事と、それを機能させ、持続させるのとは別の仕組みであり、個人は自らのうちにそれを別けておかなければならない。
デモの主催者は大声で「終わったので家に帰ろう、ご飯を食べよう、働こう。そして次からは冷静に考えて、すべてを言葉にしよう」というべきである。家に帰るまでがデモであると。

デモの後、祭りの後をどうすべきなのか。まだまだ人類はそのステージではないのかもしれない。

2011年2月17日 (木)

エジプトの静止する日

なんてことを思いましたが、燎原の炎のように各地でデモが発生し、鎮圧されたり目的を達成したりしてる。
やはり中国共産党はいちはやく国内向け情報を遮断している。つまり国内に不満が高まっており、デモが発生し、政変に至る可能性があると認識している。行動が己の恐れを表している。

今回のエジプト政変でもっとも感じられたのは、日本マスコミの報道能力だろうか。あきらかにツイッターと海外ソースのほうが早く、充実していた。ツイッター界隈で「ネット由来の革命だからマスコミの反応が鈍い」との穿った意見もあったが、あながち間違っていないかも、と感じられるのがもうね、と。

次はどこでなにがおこるのか。それとも日本国内で何かが起こるのか。

2011年2月 6日 (日)

バースディ

バレンタイディについてつらつら。

いろいろと避難はあるものの、毎年毎年もりあがってるように思える。話題になるのはいいことですな。
モテ、非モテ、と議論されたりしますけど、真剣、義理を問わずにひとつくらいはもらえるように動いていいんじゃないかなぁ。行きつけの飲食店を作っておくとか簡単な用意行動でも、楽しむためには必要です。

モテ、非モテ議論で馴染めないのは、どうにも非モテの連中は、行動しない自分を正当化するための理論武装に余念がなくって、モテは行動しながら考えているか、考えなくていい部分を見つけているように思う。

自分の思考力に対して勘違いしていると、思考で満足して終わってしまってるんじゃないかと。
チョコレートもらうくらいちゃんとしろよ、と思う次第。

2011年2月 3日 (木)

その手があったか


エジプトは依然としてデモが行われており、その結果大規模な衝突が発生した模様。

フェイスブック、ツイッターを中心とした情報交換の末に発生したデモではあるが、ツールの存在よりも「やりかた」が伝わったのだと思う。
やり方さえわかれば行動を起こす人は出てくる。それだけの時間を持った人たちは大勢いる。失業率の数字というのは、そのままデモを行えるだけの時間を持った人たちの率でもある。

職があれば、収入があれば、手放したくないものがあれば、こうはならない。なにもない人が手に入れようと行動を起こす。それが「悪政への戦い」ならもはや正義の看板を背負ってしまうので、歯止めはない。

日本でもその準備は整ってるんじゃないかな。

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