2016年8月21日 (日)

なにもない

体力は回復しない。

やる気はない。
精神力は摩耗するだけだ。
不安だけが募る。ちょっとしたことを事大に考えて、ふさぎ込む。
もう、どうしようもないところまで来たんじゃないだろうか。責任を取る人間がいない現場だ。「そうしたほうがいいんじゃない?」「こちらがいいと私は思います」などなど、無責任な言葉だけが降り積もり、誰も責任をとらないまま決定されていく。
なるほど、私も無責任になればいいのだ。
それが今週の気づき。

2016年8月14日 (日)

地獄の釜の蓋が開く日

地獄ですら休みだというのに、私の職業はむしろ、客がやすみなのでスケジュールリカバリのため休日出勤推奨だし、機器を止めていいから作業だったばんばん入る。

ハッキリ言って、最低の職業だ。それしか能がない私も最低だ。若い人はコンピュータ業界、とりわけSI関連にはぜったい就職してはいけない。ここには幸せはない。

2016年8月 7日 (日)

あーあーあー

辛い。上司と業務と合わさって辛い。夏休みなんてない。年内に取得できるのだろうか。

こうやって人は死んでいく、なんて思ってしまうほどに、だめだ。
辛い。
辛い。
半年ぶりに、精神科で薬をもらう。頭の中の熱が取れますように。

2016年8月 2日 (火)

結局のところ、他人になにを求めているのか、というぼんやりした毎日がつづく。

人に何かを期待していいなんてことはない。まずは自分に期待して、自分を動かすしか、私にはできない。
とにかくつらい日々が続く。

2016年7月18日 (月)

誰に聞いても

不思議なもので、いろんな人に話を聞いても、世に出てくる話を見ても、上司とはまったくもって敵でしかないようだ。元は違うだろうに、ある日管理職になると、人は凶暴になるのだろうか。それとも責任感が、人を画一化していくのだろうか。

仕事が大切なのはわかる。しかし、どれくらい大切なのだろうか。上司を見ているとそう思う。

2016年7月11日 (月)

悩みは尽きない

業務がやや平常営業に。とはいえ、その分先送りにしていたモノもあるわけで。

上司とあわない件がどうにも目立ってきた。この辺は自分勝手なものだと自覚している。
以前よりあわない上司だったのだが、最近はとにかく合わなくなってきた。どうして、ああいう人が、管理職になるんだろうか。会社の評価システムに疑問を感じずにはいられない。
とはいえ、これを読んだおっさん連中は「そういう人こそ」みたいな、強烈な自己憐憫と自己肯定から完全に僕を否定するんじゃないかなと思う。
一般論なんてどうでもいいんだ。僕があわない、という話なんだから、どうでもいいんだ。合わせるのも仕事のうち、という人。自分の不幸を普遍的だと勘違いしないでほしい。
ただ、いろんな上司をみても、大体がアレな人が多かったので、日本の国家レベルでダメな人を上司にする仕組みが運用されているんじゃないだろうか。
ただ、今の上司はあわないだけで、ダメなのかはわからない。彼なりに悩んでいるのかもしれない。
しばらくはこの上司について、言葉にしていこう。

2016年6月 6日 (月)

月がかわれば

6月になったら、上役が交代した。そうしたら急にまともな労働環境になった。

単にめちゃくちゃだっただけなのだ、と改めて気づいた。それの支援を誰かがしなければならないのだろう。上役の問題だっただけに、プライドやら立場やらが絡んで、そうそう簡単には動けなかったのか、と自問自答している。
結局のところ、原因の層が違う場合に対処するのはそうとうむつかしく、また、人が原因であるならば、立場/プライドなど、パラメータが増えていくのだと改めて感じた。
すこしづつ休んでいこう。

2016年5月22日 (日)

日曜の夜に

月曜が嫌だ、と思わなくなって久しい。以前はよくそうおもったのだが、いつからかそのような心の突起もなくなった。単にいつもの月曜がくるだけのことだとわかったからだ。

仕事がつらいことが普通になったとも思う。よくないことなのかわからない。そしてこのことをブログに記すのも何回目なのかわからない。
それでもやはり、ここに書くのは、月曜日が嫌なんだろう。

2016年5月15日 (日)

休んだのだろうか

土曜、日曜が休みの仕事だ。2日休んだ。つまり、5日、70時間くらい働いて、48時間で元に戻せ、となる。

無理だ。

2016年5月 8日 (日)

そろそろ警告

毎日12時間労働をはじめて一か月がたった。最初のころは面白半分でだらだら22時まで仕事をした。そのうちに慢性化して、今に至る。どうにもリーダーがアホの極みで、20時くらいに退社した人を指さし「帰るの早いねー」という人なのだ。仕事を量ではなく時間でしか計れない。そのくせ、休憩時間は時間で計測できない、無能の極みであるが、そのリーダーが定時に帰宅しているのをみたことがないので、結局のところ、人は他人の中に自分を求めてしまうのだろう。そして、自分と同じことができない人を「格下」と上下に位置付けて安心するのだろう。

すくなくとも、リーダーはそう見える。
だとすると、彼と同じ時間まで働く私は評価されているのだろうか? そうでもないだろう。リーダーにしてみれば「俺と同じ」であって、つまりは、最低ライン、クリアすべき義務のラインを達成しただけの事で、それは「当然」であり、評価、つまりは加点対象ではない。
減点は楽だ。だから無能はすぐに減点を始める。無能に無能といえる人はいない。私だって無能に無能とは言いたくない。

落語の芸談にこんなのがある。
「人の話を聞いて、
自分より下手だと思ったら、
その人の芸の水準は自分と同じくらい。

自分と同じくらいだと思ったら、
自分よりもうまい。

自分よりうまいと思ったら、
その人のほうがはるかにうまい。」

いかに人間は、
自分を過大評価しがちか
ということだが、

落語に限らず、
人間の行為全般についても、
言える真理だろう。

「他人の実力は自分が考える倍ある」
と思っておけばまちがいない
という戒めである。

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