2012年1月16日 (月)

【書評】六花の勇者

 知人に薦められて「六花の勇者」を読んだ。内容が相当ひどかったので検証し
ていこう。当然ならが以下ネタバレを含む。留意されたい。また誤読、読み落し
があるようならご指摘いただきたい。
 
 
1.六花の紋章について
 まず前提として六花の紋章のデザインは誰が知っているのか。全員同じだから
その紋章がただしい、とするのはおかしい。今回一人は本物と見分けのつかない
紋章を作ったのだから、それと同じ紋章を全員がもっているということは、単純
に考えるなら、全員が偽者である。
 また、作中ではある夜にその紋章が選ばれた六人に奇跡的に発生するのだが、
偽者の紋章も同時発生したのは理由がわからない。これも全員が偽の紋章である
と考えるなら合点がいくのだが。
 
 あえて表現するなら「今回の偽者」であった姫のところには、闘技大会優勝者
が存在するのだから、かなりの確率で六花の勇者に選抜されるのは読めるのだが、
姫のところに偽の紋章が発生したのは本物の紋章と同時であったと考えられる。
これが事前に発生させそのときを待ったとしたのなら、不自然な点がある。
 
 ・姫に紋章を事前に発生させた場合には隠し通すのが難しい。
  姫という立場上侍女が肌を検める可能性は蓋然性以上の発生確率であろう。
  
 ・主人公に紋章が発生した際に間髪いれず姫がその場に駆けつけている。
  偽の紋章である姫がこれほど性格に発生を把握しているのは不自然である。
  
 結局、姫からここの説明はなかった。
 そのため、今回の勇者六人すべてが偽者である可能性は依然として残る。
 また紋章の発生位置が全員異なるのも意味がわからない。沢村が9人のボール
型のあざを探すのならわかるが……。
 
2.封印の聖者について
 作中の聖者の奇跡について以下の条件がある。
 ・奇跡は同一の場所に重ねて発生できない。
 ・奇跡はその執行者である聖者の死亡で即時に終了する。
 
 封印の奇跡についてその聖者が4年前に死亡しているのに、以前神殿の扉には
存在し続けたのが理解できない。一度開ければ二度と閉められない封印だとして、
この神殿計画を知らなかったにしては、山の聖者はくわしすぎるのではないか。
 
 
3.解決について
 これはもう作法の問題だが、最後に偽者を特定するキーアイテムが突然現れる
のも面食らった。しかも、それがヒント程度ではなく、もはや正解を示すに近い
アイテムであるため当惑はひどかった。何考えてんだ。
 これが先の戦闘場面で沼の聖者が何か気配を感じ取り、そのために和解したの
ならまだわかるのだが。


4.ラスト
 またおんなじネタで偽者探しすんの? 前述の理由で全員偽者確定なんだけど。

2011年12月11日 (日)

明後日の仕事を考える。

今を乗り切る仕事法というのは絶対にあって、それを選択してしまう。
で、未来のための仕事法というのは、あきからに、今を乗り切る仕事法よりきつ
いのが常である。
しかし、過去から連綿とその場をしのいできたら今がしんどいのだと気づかない
と、いつの間にか仕事が終わっているだけになる。

「運のいい人の習慣」に書かれていたが、他幸的人間、つまり、自分以外の人間
の幸せが最大値になるように勤める人間は運がいいという。
そして、未来の自分は他人である。そう考えれば、今どうすべきかが見えてくる
のではないだろうか。

これを書いている自分に見えているかは判らないが。

2011年12月10日 (土)

悩むべき

前向きに悩めるのなら悩むべきだ。
というのは仕事について。前向きに悩む、自分に対して悩む、もっとについて悩
む。
それは必要なことなんじゃないかな。私はそんな贅沢な悩みはできないけれど。

先を見据えて悩める人は幸せな人だ。おそらく未来はその人のものになるだろう。
自分はとくに先を悩んでいない。仕事、というか、全般に目標がない人間だから
だ。
目標がない人間は、過ごすだけだ。だから自分は、単に時間がすぎるのを見てる
だけだ。

今の仕事をしているのは、したいことがないから、というだけだから。

就職活動生たちが悩むのは、もっといい仕事があるんじゃないかという幻想があ
るからだろう。
必要なのは何をしたいのか。では、それを扱っている企業はあるのか。ではどう
するれば自分はそこに加われるのか。必要とされるのか。

まだなにも学んでいない自分に対して「期待」してくれるのか。

それを表現すべきなんだろうな。とはいえ、採用する側にそれが伝わるのかは疑
問。

2011年12月 8日 (木)

さてもアナログ

 こうやって好きな文章を書くのが何より息抜きである。
 ビジネスメール、というものが仕事のうちに大きな顔をしだしてどれほど立つ
だろう。もう毎日が狂ったように敬語というか、主義主張の衝突である。誰もが
自分の文章に自信を持っているのだから仕方がない。
 読みやすい文章を心がければそれでいいのだが、とは思うものの、そこに目立
ちたい、というか、自信が見え隠れする。
 
 メールの文章の基本というのは、バカが読むもので、そのバカは馬鹿にされる
ことにひどく敏感である。そう考えれば、必然的に文面は決まってくる。
 ナノに、世の中にはわかりづらいメールが横行している。とにかく長い。添付
ファイルがでかい。読めない。文字化けしている、なんて基本から、やっぱり日
本語がおかしいまで。
 で、大体日本語がおかしい、というのは主観的問題である。すくなくとも差出
人はその文章に疑問を抱いていないのだから。
 
 そう思いながら、今日も問題のある文章を書き散らかすのだ。

2011年11月22日 (火)

仕事も方便

仕事、が、自分のため、の人は早くに目的を確立している。
昨日も言ったように、仕事とプライベートを対立させている人は、仕事に対して
目標がない。そのために仕事の評価がますます下がっていく。

まずは、仕事に目標を立てよう。自分の人間的(?)成長も仕事を通して得られ
るのだから。

仕事とは人と人との間の出来事であり、経験であり、真剣勝負であり、まじめな
アソビである。仕事を通して何ができるのか、自分をどうしたいのか、どこへと
至りたいのか、が明確になってなければならない。

つまり、今となっては就職活動やら、転職やら、さまざまな方法があるのだけれ
ども、究極のところ、仕事とは人生であり、その先に得られるであろう結果に対
して同意できる仕事こそを選ぶべきなのだ。

というわけで、今の仕事が辛い。

仕事との対立。

仕事とプライベート(日本語で適当な言葉がない)を対立させるのがおかしい。
仕事、というものは、生きるうえで相当な比重を占めることがらだ。つまり、生
き方、とは仕事で決まるように思う。
趣味が生活の、自分の中心だと錯覚したいがために、仕事を敵視するのは、生活
が立ち行かなくなる。もっと仕事に対しての接し方を考え直さないといけない。

つまり、もっと楽しく働く人を学ばなければならない。

どんな仕事だって厳しい。この仕事の厳しさ、というのはどこから来るのかにつ
いてもっともっと考えなければならない。

どうして仕事は辛いのか。厳しいのか。なのにどうして必ず働かなければならな
いのか。
そして、どうすれば、仕事と自分とが対立せずに済むのか。

それについてしばらく考えていこう。

2011年11月20日 (日)

ぶんしょうのさいかい。

いろいろと書くべきだ。
興味があること、だけでなく、できることなら目をそらしたいことについて、徹
底的に書くべきだ。そう自分に言い聞かせるために、今書いている。
それをネットに公開する。誰かに読んで欲しいからだ。できれば意見が欲しいの
だけれど、それは高望みがすぎるだろう。

今、自分が書きたいのは仕事について。

毎日、すこしづつ書いていこう。

2011年2月28日 (月)

さよなら、大佐

リビアも最終局面に。国外脱出を許すというのは、反政府側がそれほどの手がないのか、それともわざと抜けやすいようにしているのか。
しかし、どこに行くんですかね。イタリアかスペインか。またレコンキスタか。などと考えているのものの、イタリアは難民受け入れにたいしてEUへ支援を要請し、さくっと蹴られる。とりわけフランスは排斥運動があるので、政府も人道援助とはいえそうそう予算の出動ができない。

となると、トルコなどのヨーロッパ経由で中央アジアにいたる道か。

リビアの南、スーダンがどうなっているのか情報は少ない。先の選挙の結果から今回のジャスミン革命に突入し、平和的独立を得たスーダン南部のこれからについては報道が少ない。

日本国内でも原油価格が上昇し、且つ、円高が進んでいる。本来は113円くらいだとおもうんだけど。この円高でも吸収しきれない原油価格の高騰は、円安の場合に何が起こるのか想像がつかない。日本国際の格付けが下がる一方で、国内での起債ではまかないきれない財政がさらに悪化しそうである。

チュニジアのたった一人の青年の自殺が、次の10年の世界を決めたように思う。
もはやテロという他人の国にちょっかいを出している場合ではない。
そして日本は経済で成功したのだから、その価値がなくなったとき、姿を消しそうである。残念ながら。自分はできることをしようと思う。

2011年2月20日 (日)

納得いくまでやり直す

チュニジア、エジプト、いまだに国体をなさず。
結局、一度暴力でなにかを手に入れた人は、納得するまで振るい続ける。欲、というものは底がなく、持続する。これは交渉ではない。やがて新政府による更なる暴力が導入され、人心は離れていくのでしょう。幾度となく見てきた革命政府の終焉ですな。

ネット上の意見とは調整ができない。交渉ができない。妥協ができない。それをまとめようとするのは、それこそ政治の仕事の本体である。議論は続けていい。それこそネット上で続けて欲しい。しかく新政府の仕事と、それを機能させ、持続させるのとは別の仕組みであり、個人は自らのうちにそれを別けておかなければならない。
デモの主催者は大声で「終わったので家に帰ろう、ご飯を食べよう、働こう。そして次からは冷静に考えて、すべてを言葉にしよう」というべきである。家に帰るまでがデモであると。

デモの後、祭りの後をどうすべきなのか。まだまだ人類はそのステージではないのかもしれない。

2011年2月17日 (木)

エジプトの静止する日

なんてことを思いましたが、燎原の炎のように各地でデモが発生し、鎮圧されたり目的を達成したりしてる。
やはり中国共産党はいちはやく国内向け情報を遮断している。つまり国内に不満が高まっており、デモが発生し、政変に至る可能性があると認識している。行動が己の恐れを表している。

今回のエジプト政変でもっとも感じられたのは、日本マスコミの報道能力だろうか。あきらかにツイッターと海外ソースのほうが早く、充実していた。ツイッター界隈で「ネット由来の革命だからマスコミの反応が鈍い」との穿った意見もあったが、あながち間違っていないかも、と感じられるのがもうね、と。

次はどこでなにがおこるのか。それとも日本国内で何かが起こるのか。

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